物語はかく語りき──『カオスの紡ぐ夢の中で』

金子邦彦さんが1990年代に雑誌に掲載していたものをまとめて、2010年に発行された本です。科学の方法、物の見方に関しての、著者の考えをエッセイや小説という形でまとめています。

自分でそういう科学していない人にも、至るところに用語が散りばめられているので勉強の糸口として利用できたり、社会的なことと絡めても読めるような気がします。

自分は、複雑系を捉えるためのアイデアを少しでも吸収できるように読んでいきたいです。

複雑系へのカオス的遍歴

クォーク誌に連載されていたものをまとめたもの。複雑系とはなにか、その研究とアイデア、社会評論や物語などを結びつけながら、思考の遍歴を描いています。カオス的というのがこういう意味なのかわかりませんが、話は連続しているようで、なかなか一つのもとに体系づけるのが難しいような、予想外さがあります。多少誤字があるのもカオス的躍動感を感じますね。

この本については要約や抜粋に意味はないでしょうから、自分が重要だと思った部分を再構成し、考えたことを書いていきます。

複雑系とは

複雑系とは読んで字のごとく複雑な系なわけですが、この複雑とはなにか系とは何かということもきちっと表現はできず、それ自体が重要な研究対象となるでしょう。

まず、複雑ということについて。この複雑の意味も色々あって、一つの言葉では言えないものだと思います。単純でないということで、唯一絶対の真理を求めるような今までの理解の仕方では捉えられないものを捉えようという問題意識から生まれた名前だと言えます。

例えば、今までの科学は静的な統計情報や周期運動を扱ってきたと言えますが、それに対してパターン化できない変化し続ける運動というのが複雑なものに当たります。

また、単純なものに還元できるような込み入った(complicated)ともことなった複雑(complex)なものを指すということです。例えば、ランダムというのは確率という単純なものによって生み出される、込み入った構造ですから、これだけでは複雑と言えるものではないでしょう。何らかの構造や規則はあるが、それを表現するのが難しいというものが複雑ということです。

系(system)というのは、互いに影響を与えあっているようなひとまとまりの集団を意味してるわけですが、こと複雑系においては、要素から全体へという考えだけでは捉えられず、全体から要素へ与える影響というのも重大なファクターになります。そこで改めて系というものを考えると、これは世界というなかから独立したものとして取り出せることを仮定してると言えるんですが、世界からの影響を度外視するのがほんとに無視して良いのかというのは問題として残っているわけです。

問題意識

まず、複雑系を理解しようとした時、誰もがまっさきに考えること、考えなければならないことは、どういう風に理解するかというものの見方です。筆者が科学では、ものそれ自体より、ものの見方、考え方、論理が大事ということを書いてますが、なぜ科学では当たり前に大事な、ものの見方というものをわざわざ書いているかといえば、複雑系とはまさしくそれを探る学問だからでしょう。単純に構成的には捉えられない、パターン化できないという場合には、どんな情報なら得られるかどう利用できるかという新しい見方を探すことになります。

世界のモデル化

現実世界では因果は原因と結果という一直線ではなく網目状に張り巡らされています。網目状に張り巡らされているため、細部がカオスとして発現してしまうことがあり、世界のモデル化は基礎方程式の重ね合わせでは理解できないことがあります。

だからいろんなプロセスを切り出して、その干渉の世界を構成してみることで、どのプロセスが本質的かをみるというアプローチも取らないといけないわけです。これは、現実の側面を切り出し、世界を構成して進展を追うという物語の創造と同じで、この本でも著者は物語を大いに活用しています。

 ルールと生成

複雑なものは、何らかの規則や構造のもとで生み出されるわけで、複雑なもが従うルールを暴くには、あるルールのもとで、より高次のルールが生成される過程を追うというアプローチを取ることになります。

例えば、新しい数理体系を模索、今のデジタルコンピュータとは違う思考機械の構成、生物など多くの例からルール生成の規則を探るなど、今のルールとは異なるものから何が生まれるか、高次のルールが生まれる過程自体のルールを研究するといった方向です。

つまり法則を捉える法則を探ることです。これはまさしく私達生物のことを言っています。そういう意味で、このルールの生成を研究するのは、生物を一般的に考えることとも言えます。可能な進化パターンを調べることだったり、遺伝とは何か、どうやって複製と変異を両立しているか、なぜ生命は不可逆性を持つのかといった問題提起が生物と結びつけて得られると思います。

偶然と必然

 カオスというのは、決定論から生まれまるで確率論のようなデタラメさを示す、偶然と必然をつなぐ架け橋です。

そのためもあって、デタラメか規則を持つかというのは決定不能です。そんな中でどうやって複雑を定式化するかといえば、一つは無限の知性の存在を念頭に数理的な定式化を行うこと、もう一つが先程のルールと生成のように、有限の知性が規則を考えていく過程を考えることです。

相補性 

これは老子荘子などが大事にしている相補的な陰陽の思想のようなことです。自己と自己以外、認識するものとされるもの、観測とはどういうことか。集団の様相により個の性質が変わる、内部の複雑さと外部の相互作用が重要な複雑系では特にこのような疑問が本質的になってきます。だからこそそこへの哲学的思索としての相補性は必要なアイデアと言えるでしょう。

カオスの性質

小さい違いが大きくなるカオスという性質は、情報を蓄え引出すということや、ホメオカオスという揺らぎの中に多様性を維持し環境へ適応するという点で役に立ちそうだということが想像できます。

他にもカオスにどんな可能性があるかとか、物事をカオスとして理解するというのは複雑系を研究する動機にもなるところだと思います。

カオスをつないでみたらどうなるかとか、分化過程において、分業し強調していたのが少数に資源が集中し、競合が激しくなり足を引っ張り合うという変化が、社会的な構造変化への示唆を与えてくれるとか。論理の積み上げだけでは到達できないところへの足がけとなってくれるかもしれません。

カオス出門

とある科学者との契約で、悪魔が世界からカオスを消してしまうという話です。確かに、現実って結構カオスで予測不可能なものなので、もっとわかりやすくなって欲しいという願望は科学者的な立場だと思うところもあるのかもしれません。しかし、実際にカオスを取り除いてしまうと…。

たったの七日間ですべてが壊れてしまいました。

創世記で神が七日間で世界を作ったことと対比していて、カオスこそが世界を作ってるのだ、ということなのでしょうか。ギリシャ神話なんかでも、はじめにカオスがあるわけで、現代では神は死んだと言われてしまいましたが、カオスの研究はあながち神の復活につながるかもしれませんね?

小説 進物史観──進化する物語群の歴史を見て

進化する物語の歴史を観察する、略して進物史観。人工知能の研究から、人工物語へと研究対象を変え、実験を行ったF教授についての、いえ彼に生み出された物語たちの物語です。

物語を分解して組み合わせるという発生原理と、生物進化というアイデアを得て、ASS(Artificial Story System)は物語を生み出し、ついには世間をも巻き込んで行きます。

世間が悲劇一色になったり喜劇で埋め尽くされたりしつつも、そこからパターンを獲得し、より高度に発展していく様子は、見ていてワクワクしました。

虚か実かということや、自己言及、入れ子構造、模倣といったテクニックをウイルスに見立てるアイデアも非常に面白いです。繁殖しすぎては死滅してしまうが、確実に進化に関わってくることを上手く捉えてる感じがします。

最終的にはランナウェイ説のような進化の無意味的な増幅が生じ、些細なきっかけでASSは絶滅してしまい、後にはぴよぴよ語だけが残されるところは、凄いシュールと言うか、続きが気になるところでもありますね…。

全体的には、人工物語という概念を捉えるために、それを生物進化と結びつけながら描いていっているという感じでしょうか。この本の他の部分でもそうですが、著者は物語という形で複雑系を捉えようとしているようです。過去記事で読んだリチャード・ドーキンスの、生物進化から概念へと昇華するという話とまさに逆方向のアプローチをしているようです。そういう逆の視点を絡めながら読むと更に楽しめるのではないでしょうか。

mukuyuu.hatenablog.com

 最後に出てくる、教授Zは、ASSが絶滅するまでの話、理論の不備を指摘しています。最初から記号的プログラムを仮定していることと、それを選ぶという形で進化させていることにたいし、本来はもっと渾沌とした中から記号的な記憶へ収束してきたのではということ、まず多様性があってそこから安定化固定化するのではという指摘です。

この教授Zは、著者の老賢人イメージが現れたもののようです。ここにこそ本質があるのではないかという示唆に、余韻を残して物語は収束します。

バーチャル・インタビュー──あとがきにかえて

インタビューをしているという形式のあとがきです。これまでの章に対する説明などがあって、分かりづらかった所もここを読めばわかるかもしれません。

ただ、やはり一人でインタビューをシミュレートしているという、入れ子構造みたいな形式は、かえって謎が増えてしまうというか、あんまりメタに考えるのは頭への負担が大きいですね‥。

おわりに

壮子の影響を受けているようです。複雑系だけでなく量子力学などもそうでしょうが、既存の情報を上手く使うというのではなく、新しい発想を求められる分野ではこういう哲学や宗教めいたことにアイデアの源泉を求めることはよくあるみたいです。

円城塔という小説を書くプログラムが小説・進物史観から生まれたように、この本もまた、そういうアイデアの源泉になるような本として読まれるのではないでしょうか。

参考資料

カオスの紡ぐ夢の中で (〈数理を愉しむ〉シリーズ) (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

カオスの紡ぐ夢の中で (〈数理を愉しむ〉シリーズ) (ハヤカワ文庫NF―数理を愉しむシリーズ)

 

関連資料 

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

Self-Reference ENGINE (ハヤカワ文庫JA)

 

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Self-Reference ENGINE

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