生きよ、そなたは美しい──『利己的な遺伝子(The Selfish Gene)』
- 1. 人はなぜいるのか(Why are people?)
- 2. 自己複製子(The replicators)
- 3. 不滅のコイル(Immortal coils)
- 4. 遺伝子機械(The gene machine)
- 5. 攻撃−安定性と利己的機械(Aggression: stability and the selfish machine)
- 6. 遺伝子道(Genesmanship)
- 7. 家族計画(Family planning)
- 8. 世代間の争い(Battle of the generations)
- 9. 雄と雌の争い(Battle of the sexes)
- 10. ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう(You scratch my back, I'll ride on yours)
- 11. ミーム−新登場の自己複製子(Memes: the new replicators)
- 12. 気のいい奴が一番になる(Nice guys finish first)
- 13. 遺伝子の長い腕(The long reach of the gene)
- おわりに
- 参考資料
『The Selfish Gene』は1976年に刊行されたRichard Dawkins(1941~)の処女作だ。ドーキンスは進化生物学と行動生物学(ethology)を専門としており、自然淘汰においての基本単位は遺伝子が中心であるという考えを提唱している。
そのキャッチーなタイトルからも伺えるように、この本は数式は使わず擬人的な比喩によって、読み手のイマジネーションに訴えかけてくる。ダーウィンが主張した自然淘汰を個体ではなく遺伝子の視点から語ることで新しい見方を提示し、さらに論理を発展させている。
通常、科学といえば研究対象をモデル化することで何か新しい知見を得ようとする。そのモデルは我々人間の手で、作り出され作り変えられていくわけなのだが、遺伝子というのは自ら一貫性を保ちつつ進化していく。こういう枠組みで考えると、全く生物学に縛られない一般的にも魅力的な概念だ。そういうわけで、著者の文章をたよりに僕も遺伝子の戦略を学びんでいきたい。
1. 人はなぜいるのか(Why are people?)
なんとも壮大なタイトルである。これから話す物語の魅力と、それに答えて見せるという著者の自信が感じられる。邦訳では「人はなぜいるのか」と訳されているが、読んでみた所これはもう一つの意味を含んでいるようだ。それは「なぜ人であるのか」という問いだ。
「人」という言葉は種としてのヒトというだけでなく、他の動物とは一線を画す、高度に知的な生命体である外でもない人間だ、という自負も表している。だからこそ「なぜヒトが人であるのか」という問いはそういう自負を持つ人々にとって見過ごせない問題だ。
先の「なぜ人がいるのか」という疑問に答えたのがダーウィンである。それまでの神話のようなおぼろげな説明ではなく、ピシャリと筋の通った自然淘汰による物語を1859年に人類は初めて手にした。そしてこれが図らずも「なぜ人であるのか」に対する一つの根拠である。
というのも人以外の動物との大きな違いは自分をよく認識するところであるはずだからだ。だからこそ、自分自身の起源を理解していることは高度な文明を築いている何よりの証になっているというわけだ。つまり、進化を理解するというのはそれ自体で魅力的な話であるし、人間の文明も高めるものというのは納得できると思う。
そんなこんなで著者は進化生物学の魅力と重要性を説くことに成功したのだが、思えば、まったくこれは著者の(学術的な)生存率を高める利己的な戦略であると言えよう。こういうとこにも見習うべきところはあるんだと気付かされる次第だ…。
この本では利己的という言葉を、自身の生存率を高めるという意味で定義してある。逆に利他的とは、他者の生存率を高めることだ。
定義から明らかに、利己的な行動をするものが自然淘汰を生き残るはずだ。しかし、動物には一見利他的な行動がある。これは何かが間違ってるはずだが、科学者というのはこういう時自分の思考を疑うことは極力しない。前提が間違っているのだ。
この場合、利己的だというのを個体レベルで考えていたが、それを種や遺伝子、血縁などで考えたらどうかというわけだ。ここで著者は群れではなく、遺伝子の視点を選択する。
理由はちょっとここに記すには長すぎるので以下の章で、となる。
2. 自己複製子(The replicators)
ここでは生命の起源を語っている。何事も本当の始まりを知るのは難しいが、自然淘汰という考えは単純なものが複雑になる過程を示したことに価値がある。ダーウィンの適者生存という考えはより一般に安定者生存と言い直すことで、動物に限らず分子レベルからこの自然淘汰を適用する。
原始のスープから自己複製子が産まれてしまえば、あとはこの安定者生存の法則に則ってくだけということだ。より長生きなものが生き残る、より沢山コピーするものが生き残る、より正確にコピーするのものが生き残る。それと、生き残ったものの割合によって環境も変わるわけだから、そこではまた異なる安定性が生まれるわけで、コピーの誤りによって多様性が担保されていることでどんどん変化していく。
そしてその延長に、遺伝子の容れ物「生存機械(survival machine)」としての我々がいる、と語っている。
基本的には常識的な話だと思うが、やはり、遺伝子目線で語りたいのでこのような表現になるんだろう。
3. 不滅のコイル(Immortal coils)
DNAのことを「二重螺旋」や「不滅のコイル」と呼ぶらしい。ヌクレオチドはデオキシリボソースとリン酸と塩基(Adenine,Thymine,Cytosine,Guanine)が結合してできていて、DNAはこのヌクレオチドが沢山連なってできた二重螺旋構造になっている(この際、AとTかCとGが結合する)。
細胞ないの核にはDNAでできた染色体(chromosome)が対になって存在している(人の場合は23対)。対のものを相同染色体と呼ぶ。通常決まった位置に決まった性質を表すものが並んでおり、それらを対立遺伝子と呼ぶ。
体細胞分裂では完全なコピーが作られるが、減数分裂では父からの染色体と母からの染色体で何回か交叉が起こり、新しい染色体が作られる。
シストロンとは開始と終了のシンボルの間の一連のヌクレオチドを指し示し、普通は遺伝子と同義であるのだが、交叉はシストロン間だけでなくシストロン内でも起こりうる。
そこでこの本では遺伝子を、G.C.Williamsにならって「自然淘汰の単位として役立つだけの長い世代に渡って続きうる染色体物質の一部」としている。
遺伝子が利己的と言うよりは、利己的なものとして存在できるような半永続的なものを遺伝子と名付けているわけだ。ご都合主義な印象は拭えないものの、こういう最小単位を考えることでスッキリと理論づけられるのだろうと期待して、次を読み進めることにする。
4. 遺伝子機械(The gene machine)
遺伝子をソフトウェアとすれば我々はハードウェアである。その機械である我々の機能について紹介する章だ。
遺伝子が直接に働けるのはタンパク質を生成することだけだから、生物の行動を直接的には制御できないのだ。そのためにはうまく目標を定め、そのための方向性をプログラムとして記憶することが必要だ。
たとえば、負のフィードバックと正のフィードバック。これは比較的単純で状態を維持したり行動を促進するために使われる。またもっと複雑なことをしようとすれば学習能力を組み込んだり、想像力、シミュレーションやさらには意識も発達させなければならないだろう。
そういう能力が大事だろうというのは経験的に分かっていることではあるが、著者はそれをちゃんと論理的に根拠付けてはいないようだ。そこはまあこの本の目的ではないということなんだろう。
5. 攻撃−安定性と利己的機械(Aggression: stability and the selfish machine)
攻撃行動には利益と共に危険が伴うので、攻撃を取るか取らないかには戦略が存在する。
John Maynard Smithが『進化とゲーム理論』で主張したようなESS(evolutionarily stable strategy)として与えられる。というのも、短期的に見れば全体での最良化よりも、裏切りに対する安定性を保つ方に向かうからだ。多型(polymorphism)や個体の戦略割合や条件戦略を考えることで様々な安定性を考えることができる。
そしてこのESSというのは遺伝子プールにおける遺伝子に対しても適応される。もちろん遺伝子は直接攻撃行動を取るわけではないが、遺伝子は対立遺伝子との生存率の違いによって選ばれるか選ばれないかが決まるだろう。
あたかも遺伝子がESSにおける個体のように振る舞うことで、遺伝子単位で考えることの便利さというのがこういうところに現れていると言える。
6. 遺伝子道(Genesmanship)
この章は遺伝子が利己的か利他的かと言うような話をしている。利己的な遺伝子(もしくは遺伝子群)があれば、ゲーム理論的に考えて当然それらの生存率は上がっていくはずだ。実際それは近縁のものを助けるという方法で実現されるのだが、著者はあろうことかここで遺伝子的に見ても利他的な行動をとりあげ、それを誤用だ誤用だとバッサリ切り捨てている。特に根拠はない。
著者にとってそれはある種の反乱分子であってそんな血迷った輩は目に入らないんだろう。
もう一つは、今まで自分は遺伝子は利己的なものだと言う主張をしていると理解していたのだが、この章を読んだ限りでは、利己的な遺伝子は生存しやすい、というだけで大多数の遺伝子に関して利他的とも利己的とも言えていないことだ。現実と著者の想定で異なるところを一つ上げるとするならば、現実には余裕があるということだ。我々は太陽の光を恵みに生きており、まったくの密室のデスゲームをやっているわけではない。ある程度の長い期間生存するからと言ってそれが利己的である保証はない。
著者としては利他と利己の生物学を行いたいと述べていたように、この切り口から全部説明できたらスッキリすると主張したいようだが、やはり論理的に粗雑だと現時点では結論せざるを得ない。さて次の章に期待だ。
7. 家族計画(Family planning)
子作り(child-bearing)と子育て(child-caring)のどちらを行うかや、出生数の調整には、全体主義の考えと個人主義の考えがあるよという話。
全体主義の根拠は集団の淘汰、個人主義の根拠は育児のコストやストレスを挙げている。ここについてはどちらかと言うと個人主義のほうが自分としては共感するところが大きいかなと。ただそれも割合の問題で、集団の利益というのも無視できるというだけで、まったくないわけではないんだろう。
なんだかんだ、そういう周りを考える余裕があるというのも生存する上で大事な要素なのかもしれない。
8. 世代間の争い(Battle of the generations)
親と子の駆け引きが本章のテーマだ。遺伝子を1/2の確率で共有し合う親子、兄弟間での力の均衡がどうなるかという問題だ。
親から子へは、平等に接するのか贔屓するのか、また子は親に対して恐喝やだまし、兄弟との争いなど、必ずしも親子の利益が一致しないことが、たとえ親族間であっても駆け引きを生んでしまう。親にも子の時期があり、子も親になるというのが問題を面白くしているようだ。
著者はここから、親と子のどちらに分があるかと言うのは一般に決められず、だからこそ子供に利他的な行動を期待はできないので道徳は教えなければならない、と結論づけている。
ただこれには疑問があり、人間など共感する動物はいるわけで、共感が道徳を生み出しているのではないかということだ。周りがまったく非道徳的な集団であってもそこから道徳観念のある人間が出てくることがあることからも教えることだけが道徳を育む手段とは言えない。
9. 雄と雌の争い(Battle of the sexes)
続いて、雄と雌の間の駆け引きだ。カビのような同型配偶から、ESSを用いて性差が生まれるメカニズムと、フィッシャーの原理により通常男女比は育児コストに比例することを紹介している。
また、雌を大量投資的で実直なもの、雄を搾取的で運動性のあるものと仮定した上で、雌は生殖において配偶者を選ぶ側になりがちなこと。その選択の基準としては誠実さと逞しさの二つが大きくあることを言っている。
誠実さについては、「貞節」と「尻軽」、「誠実」と「浮気」の2型についてのESSを論じ、逞しさについてはそれが性的魅力へつながるということを論じている。
こういう戦略をゲーム理論を通じて説明するとわかりやすいなあという感じだ。ただ、これを人間の恋愛に当てはめるかどうかはあなた次第と言えよう…。
10. ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう(You scratch my back, I'll ride on yours)
コレもまた単純な利己的行動やESSによって、群れが形成されたり、警戒音を発したり、互恵的な共生が生まれるということを説明している。個体に記憶があるかどうかや、遺伝の方法によって、群れの形態が変化していくのは面白いところだろう。
11. ミーム−新登場の自己複製子(Memes: the new replicators)
ミームのお話である。この本を今まで読んできた所、この章が一番価値あるところなのではと思うほど、非常にキャッチーなアイディアだ。
遺伝子を生物的なものに限定せずに考えた時、我々の文化にもGeneに対応するものがあるのではないか、それがMemeである。自己複製と模倣、生存率と生存価を対応させ今までの進化に関する議論をごっそり文化に移させる手際は見ていて楽しい。
寿命や多産性、正確さが重要な概念に成るだろうということをいい、やはり先見能力のないミームにも利己的な側面があるはずだと述べている。残念ながらそこから先に踏み込んではいないが、人間のシミュレートする能力がこの利己的な自己複製子たちから逃れるすべだろうと、希望を語っている。
ただ、このシミュレートするという能力、いわばミームにとってのタンパク質生成にあたるのではないか。
12. 気のいい奴が一番になる(Nice guys finish first)
囚人のジレンマに関するお話だ。常に相手を裏切ることが”最適”な戦略に成る時どういう戦略を取ると良いかという話だ。
これはたった一回の時には当然裏切ったほうが良いのだが、繰り返すことで戦略が変わってくる。気さくであることや、寛容であること、頑強であることなど、しっぺ返しの戦略というのはESSでは上手くいくみたいだ。
同じ状況でも時間幅や集団の形成によって取るべき戦略が変わっていくのは面白いところで、現実でもよくある難しい問題なんだろう。
13. 遺伝子の長い腕(The long reach of the gene)
最後まで読んでよかった!という気持ちだ。ここでは今までの章で語ってきた例や考えなどを総動員しながら、遺伝子とは何か、個体とは何かという魅力的な問いに答えていく。ここでは著者の答えではなく、読んだ後の自分の理解を書いておく。
- 自己複製子とは、正確に自分を複製するものである。
- 表現型とは自己複製子によって及ぼされるあらゆる効果である。
- 個体とは生存率を同じく公平にする自己複製子の集団の表現型のうちある程度恒常的なものである。
- 個体群とは個体が群れているものである。
- 成長とは表現型が大きくなることである。
- 繁殖とは個体が個体を生むことである。
このように定義すれば、個体と個体群は遺伝子目線では性質の異なるものとわかる。この定義において注意しておくことは「正確に」「あらゆる」「公平」という言葉である。この言葉に明確な判断基準はなく、またこれをどのように発現しうるかというのが頭を悩ますべきところだろう。
実際の生物に当てはめて考えてみよう。
まず遺伝子は集まって細胞を形成する。それによって一人ではできない機能が行える。細胞は細胞分裂により繁殖する。
次に細胞が分裂し多細胞体を作る。大型化による新地開拓や特殊化による効率化が図れる。
多細胞体は同一遺伝子をもつ細胞で出来てるために、個体と言えるが、どうやって繁殖するかは問題だ。
単純な考えの一つは分裂することである。しかしこれは突然変異により個体性を失い個体群へと変化してしまうだろう。
そこで生物が考え出したのが、一つの細胞を輩出することである。
これによって、遺伝的に均一で協力できる個体が生まれる。
また、設計図が生まれる。つまりどう成長するか、いつ成長するかといった情報をひと所に蓄積し制御できる。また古く様々な歴史の混乱を背負わされている体を捨てることができる。
そして、より大きい範囲での淘汰を起こしやすく成る。これにより長期的な安定を得る。
おわりに
この本全体を通して、言葉の定義が後付だという印象はあるが、読んでみると、そう定義するべきだと感じられる。より自然な言語の区切り方であると納得するだろう。そしてそれが新しい世界観を作るということなのだ。
また、自己複製子を定義し、ゲーム理論を適応するという、当てはめやすい枠組みも魅力的。その定義仕方などによって、その様式がコロコロ変わることが生物の多様性からも類推でき、面白いところだろう。
あとは、進化の負のフィードバック(つまり、何らかの平衡状態へ導く過程)は十分に語っていたが、正のフィードバック(有益な進化を生み出す過程)についてはランダムな誤りとしか述べていないので、交叉の仕組みやランダムの入れ方などを考えると面白くなっていく気がする。
参考資料
- 作者: リチャード・ドーキンス,日高敏隆,岸由二,羽田節子,垂水雄二
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2006/05/01
- メディア: 単行本
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