でもそんなの関係ない──『新しい道徳』

「いいことをすると気持ちがいい」のはなぜか、というフレーズを添え、世の中で押し付けられている道徳なるものにツッコミまくります。現代に子供の教育や社会の常識など様々な場面で押し付けられている「道徳」に対して、本当に必要な道徳とは何かを求め、新しい道徳と題しているのでしょうか。ツッコミを入れていく中で得られるその道徳は、本来道徳はどういうものか、なんで道徳が生まれたのかと遡っていき、むしろ古い道徳と呼ぶべきものかもしれません。

人に言う前にまず自分から。どう生きるかを自分が考えて抜いてこそ、それは血の通った道徳になります。一見道徳から遠いところにあるような芸人が、本当は一番道徳に近いのではと感じさせるところが面白いところです。

1. 道徳はツッコみ放題

この本の趣旨はこの第一章にあるでしょう。ページ数的にも一番多く書かれている部分になります。数学なんかとは違って多くの異論が成り立つ道徳だからこそ、ツッコみどころは満載です。

一つの価値観で固まった社会は脆い。北朝鮮などを揶揄しがちな私達も、道徳教育という点では一つの価値観を押し付けがちです。集団で生きる人間だから必要になる道徳ではありますが、根っこのところでは一人ひとりの心の底から生えている道徳でなければ意味がありません。

親切心を押し付けたり、自分を見つめさせて「道徳」と照らし合わせたり、上から強制される道徳が、本当に人のためになるんでしょうか?

好き勝手に遊び、痛い経験やうまく行ったことなんかを積み重ねたり、人とぶつかり合ってようやく人生哲学として骨身に染みるものです。みんなが言ってるから、指導要領にかかれてあるから、そういう時代だからなんて理由で人は動かされません。

道徳はフラクタル。道徳は価値観のぶつかり合いから生まれるものですから、子供も大人も、人も国も同じです。子どもの問題なんて簡単だと甘くみてしまいがちでも、それが大人の問題として、国の問題として本気で取り組むべき問題は多くあります。

2. ウサギはカメのあいてなんかしない

過去の道徳が、そのまま今の時代には通用しなかったりするという話です。

ネットが発達してできることが増えたように錯覚することもありますが、手軽に得られるものは手軽なものでしかない。だから自分でどれだけ考えられるかというのは現代でも必要です。

昔の言葉を繰り返すばかりでなく、自分で問い直すことは道徳においても不可欠です。

3. 原始人に道徳の心はあったか

集団として生きたときから、人間関係が生まれたときから道徳が育っていったはずです。

人間関係のように道徳とは相対的です。道徳を人に押し付けるということは人間関係に落として言えば、相手に服従を迫っているようなものです。

人というレベルで見ると、こいつは信用にたる人間かなど見極めようとしますが、道徳に関してもその視点を忘れないことです。

4. 道徳は自分で作る

道徳は人間関係だといったように、集団の中で成功しようと思えば自然と身につくのが道徳です。相手への気配りや、挨拶なんかも自分が味方にできるひとを作るろうと思えば自然と出てくる行為でしょう。

自分がどうしたいか、どういきたいかということを考えることが自分の道徳を磨くことにつながります。

5. 人類は道徳的に堕落したのか

環境が変わったから道徳も変わってきたということでしょうか。

人工知能が騒がれる昨今、便利な世の中ではありますが、考える習慣を失わない限り、自分たちが道徳を見失い、人生を人の手に任せてしまうということはないはずです。

おわりに

著者の人生哲学が詰まった一冊です。ついつい小手先の技にすがりつきたくなるような不安が社会を覆ってる中でも、本気の思い、熱意というものが人を動かします。結局は人が我々の社会を作ってるんですから、人としてどう生きるかという道徳はきっとここぞというときに踏ん張れる足場を与えてくれます。

参考資料