求めよ、さらば与えられん──『アフォーダンス』

アフォーダンス理論はJames J. Gibsonが提唱した、知覚についての理論です。これが人工知能の設計やアート、デザインの分野でも注目されているらしい。

たとえば、人工知能ではフレーム問題というのがあります。フレーム問題とは、無限の選択肢と無限の探索深度があるために、起こりうる問題総てに対処することはできないという問題のことで、例えばロボットになにか作業をさせる場合に、どうすればあらゆる状況に対応できるようにプログラムできるかというのを考えることになります。

これが、従来の知覚に対する考え、つまり情報を上手くインプットして、それを上手く処理して、それによって行動に移すというモデルでは、実行時間という観点などからも現実的には上手く行かない。

そこでそれを解決するべく考え出されたのがアフォーダンス理論というわけです。

行動を上手く生み出せるような、知覚の仕方、というのはロボットに限らず我々人間にとっても重要なことなのではないでしょうか。自分の生活にどう活かせるかに注目しながら読んでいこうと思います。

1. ギブソンの歩み

ギブソンは1904年に生まれ、1979年に死没。プリンストン大学の哲学科に進学し心理学を学びました。

ギブソンのアイデアの源泉となったものとしては大まかに二つあります。それがゲシュタルト心理学と、ニューリアリズムです。

ゲシュタルトとは要素刺激の集まりで、その総和以上となるもの総和とは異なるものを指します。

それまでの知覚の考えでは、要素刺激を処理した結果としてゲシュタルト刺激が生まれると解釈されていました。しかし、ファイ(仮現運動)現象により要素刺激とゲシュタルト刺激が排他的である、つまり同じレベルのものであるという考えが生まれました。

これにより、感覚刺激によって知覚が一意に決まらない、知覚の原因は刺激だけでないという知見を得ます。

一方のニュー・リアリズムはプラグマティズムや根本的経験論に依拠しており、デカルトのような不変で動かない主観ではなく、相互関係や動きなどの「推移」こそ実在であるというような主張です。

ギブソンはここから動物の動きが環境に特定的であることや、自然の法則に従うことなどをアイデアとして取り入れたようです。

こういった素地から、ギブソンはどう理論として結実させるのでしょうか。自分だったらどうするかなどを考えると面白いかもしれません。

2. ビジュアルワールド

1章が守破離でいう、守なら、この章は破に相当する。

伝統的に知覚心理学者は錯覚を研究材料としてきたのだが、まずはその伝統を破るきっかけとなったのが空軍視覚テストフィルムユニットでした。ここで人間のもつあたりまえの空間認知能力の素晴らしさを実感したようです。

やはり理論というのは、あたりまえのことを当たり前に定式化するところに意味があるのでしょう。

これを機会にギブソンは知覚の刺激と考えられる範囲を、一点の情報だけでなく、一つの面のテクスチャ、面のレイアウト、時間変化という風に、広げていきました。

また、視覚というのが外界の情報だけでなく自己の情報も与えるものであることに気づき、外的で静的な、いわば「視覚野」という見方から、自己と環境、ミクロとマクロ、動きを含めた、いわば「視覚世界」という見方へとアイデアを発展させました。

3. 情報は光の中にある

ここでも、理論の土台と成るアイデアを紹介しているようです。正直今の所まで読んで、確かに今までの考えとは違うというのはわかるのですが、実際にどう活かされるのか想像できていないので、とりあえず大事そうだと思ったところを列挙しておきます。

1つめは、視覚情報を、網膜に映る刺激の配列という捉え方ではなく、環境に存在している光配列(optic array)として捉えるということ。

2つめは、生物には凹状や凸状、視野の違いなど多様な眼があるが、どれにも共通していることは隣接性を保っている(数学的には位相を保つ)ということ。

3つめは、それまでの光学のように光源からの放射光に着目するのではなく、一点に対し包囲するように集まる包囲光(ambient light)に基礎を置いたこと。これを、「生態光学(ecological optics)」と呼びます。 

4つめは、動かずに記憶と推論で意味を見出すという考えではなく、観察者や対象、環境の動きから不変項を取り出すという考え。不変項は構造不変項と変形不変項に大きくわけられるといういこと。

5つめは、遮断と入れ子。現在見ている面だけでなく全体として知覚するということです。

さあこれらをどうやって理論という形に落とし込むのだろうか、すごく気になります。

4. エコロジカル・リアリズム

従来のモデルは、刺激と感覚器官と中枢の三項で説明する、環境と動物の間の媒介を明示的に考えている「間接知覚説」と言える。

一方ギブソンは、環境と動物の二項だけで知覚は説明できるとする「直接知覚説」を唱えるようです。(包囲光は刺激じゃなく情報なので、推論は必要なく意味を探すだけでいいと言ってるようなのですが、意味を探すことと推論は違うのかい、そうなのかい…。あと刺激の集まりと情報の違いがいまいち分かってないです…。)

この直接知覚説を象徴する概念として、特定性があります。これは、知覚システムによる情報の特定と情報による環境の特定の二つがあるようです。

さてようやくアフォーダンスを導入する。

アフォーダンス(affordance)とは「環境が動物に与え、提供している意味や価値」です。アフォーダンスは環境に言及すると共に行為についても言及しているものです。

また環境は大きく3つに媒質、物質、面に分けることができます。媒質は均質で透明で情報を伝達します。物質は不均質で情報を遮断します。物質が媒質に露出するところが面です。

アフォーダンスはなにかあたらしいことを言っているわけではないように思えます。というのも、進化的に、知覚というのは知覚するため生まれたのではなく、上手く行動するために生まれたものなので、根源的には知覚は環境と行為の関係にあるわけです。ただ、特に知覚が高度に発達した人間に焦点を当てる知覚心理学という学問に於いて、行為との繋がりが軽視されていたので、それを再度喚起したというものなのではないでしょうか。

物理的な意味での環境、それを網膜像に写し取り意味を取り出すという風に環境から意味を経て行為が導かれると捉えて来たのですが、物理的な意味での環境そのものを考えるのではなく、環境から行為への繋がり、つまり動物にとっての環境の性質(アフォーダンス)の全体を考えておくことで、知覚とはそのアフォーダンスを選び取ることだと、単純化して捉えなおそうとしたということでしょう。

つまりアルゴリズミックに考えるのではなく、ブラックボックス化して考えようということを言っているような気がします。数学的には自然な考えです。意味の公共性、このアフォーダンスが私的でないという議論も、このアフォーダンス全体を考えることを正当化したいために言っているようです。ただこれはやり過ぎで、僕は私的なものだと思いますし、それを見込んで定式化した方が面白いと思います。

5. 知覚システム

知覚は眼のようなミクロな受容器だけでなくマクロな身体組織で行われます。このシステムを知覚システムと呼びます。このシステムは感覚神経と運動神経の求心性と遠心性の神経組織の両方を持ち、動くことで不変項を知覚します。この動きというのは眼球の動きや頭の動き、体の動きと、層になっているものです。

基礎定位、聴覚、嗅覚と味覚、視覚、触覚と5つの大きな知覚システムがあるのですが、これらはアフォーダンスという観点から、つまり環境と行為の関係において、等価です。よってそれらは統合されており、一つが欠けても他で補えるようになっています。

一方学習とはシステムの分化によって行われます。アフォーダンス的に言えば、環境の多様性と行為を対応させることです。このあたりはピアジェのシェマ形成と同じような考えのようです。

6. 協調構造

中枢制御モデルとは、コマ送りのように配置を連続的に指定することで運動を制御しようとすることです。これは現在でも影響力のある考えではあるのですが、そこにはベルンシュタイン問題があります。

一つは、あまりに多くある部位に運動を指定すると自由度が高すぎるということです。これを「自由度の問題」といいます。

もう一つは、環境や身体の状況が違えば、同じ司令でも意味が変わってきてしまうという、「文脈の問題」です。

その解決法の一つが「協調構造」です。

それは運動の単位を、運動モジュール、運動ニューロン、筋や関節といった個々のパーツから「連結」へと変えることです。部位ごとに制御するのではなく、身体部位の間に関係を付け、連結させることで自由度を下げることができます。

速度を変えても変わらない運動のリズムといったものも、協調構造が自由度を制約することで生まれる現象のひとつと考えることもできます。

つまり意図した運動は、事前に制御のプランを作ることで生まれるのではなく、運動に依存した協調構造を含む制御によって現れるものということです。環境から知覚によってフィードバックを受けながら行為は制御されているこの状況を「知覚と行為のカップリング」と呼びます。

この行為の制御に利用される情報というのは、物理的な情報ではなく、環境と行為の関係の中にあるアフォーダンスなわけです。例えば、目標地点まであと何mという情報ではなく、どんな運動と時間、つまりどういう行為で到達するかという情報が利用されることになります。

おわりに

この知覚に関する話題としては、包摂アーキテクチャ(subsumption architecture)やtensegrity構造などが紹介されています。また、「環境」「不変項」「知覚システム」という捉え方に依って、他の分野にも応用できるのでは?という示唆もされています。  

 この本を読んだ限りでは、アフォーダンスはまだ理論というより主義やアイデアというべきものだと思います。ただ、現代の静的な科学感から脱するためにはいい刺激になるかもしれません。

さて、冒頭で述べていたように生活上でも大事だなと思ったのは、まずアフォーダンスを意識することと、連結させて協調構造をつくるということと、フィードバックすることです。

アフォーダンスを意識することは、自分が環境からどういう意味を引き出せているかや、どう環境を変えればいいかといったことを振り返るのに役立ちそうです。なかなか物事が進まない時には、ちゃんとフィードバックできているか確認したり、いろんなものがバラバラになっていないかというのを確認し、どこを連結させれば上手く行くかというのを考えると良いのかと思います。

このブログも読者へのアフォーダンスを考えて書いていかなきゃですね^^;

参考資料

新版 アフォーダンス (岩波科学ライブラリー)

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d.hatena.ne.jp

アフォーダンス−ギブソン

1079夜『アフォーダンス』佐々木正人|松岡正剛の千夜千冊

d.hatena.ne.jp

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