大切なものを見つけるために──『方法序説(Discours de la méthode)』

René Descartes(1596-1650)はフランスの哲学者、数学者、科学者

です。1歳のときに病弱な母をなくしています。 10歳でLa Flèche学院に入学。18歳で卒業。その後大学へ進み、法学と医学を学び、20歳で卒業しました。

1628年にオランダに移住し、1637年に『方法序説』を公刊。もとは、『理性を正しく導き、学問において真理を探求するための方法の話〔序説〕。加えて、その方法の試みである 屈折光学、気象学、幾何学』であったが、現在は序文だけを取り出したものがよく読まれています。

デカルトは学生時代は真面目に学問に打ち込んでいたが、卒業後は書物で学ぶ学問に縛られず世間に学びました。その中であらゆる学問の基礎である哲学に対する、厳密性の必要性を感じていったのだと思われます。それを追求するための方法を考えたところに、近代哲学の父と呼ばれる所以があるのでしょう。

自分の今までの方法や考えてきたことと照らし合わせながら見ていきます。

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第1部(科学に対する考察)

デカルトは安心して歩める道を求めています。突然崩れたりしない、真に遠くまで繋がっている道を。じゃあその道ってどんなもんなんだいってことをここでは考えていきます。

そこでデカルトは最初に「分別(良識)は、人間のもつあらゆるものの中でも、もっとも平等に分け与えられている。」と言います。

ここで分別とは真偽を識別する能力のことを言っているのですが、にもかかわらず人に依って意見が多様であるのは、関心や考え方が違うからです。

「(一つのことに対し)真実はいつも一つ!」と考えているデカルトにとって、様々に意見があるということは、それだけ不確かなものだと映ったようです。

じゃあ確かなものを得る方法が気になるわけですが、デカルトは消去法で考えます。まず文献による学習ではだめだと言います。というのも、書籍による学習は、例えれば異国への旅であり刺激的ではあっても、それはデカルトの求めている安心できる道とは言えないからです。また同じように習慣的に得られるものというのも国ごとに違っていて不確か極まりないものです。

そうして常識や書物から真実は得られないと考えたデカルトは、書物による勉強から、自分自身や世界自体へ考えを巡らせるます。

第2部(方法の基本原理)

第1部で言ったとおり、デカルトはまず自分自身の思考に関心を向けました。これからしっかりした真理を導くためには、一人で考えるというのが大事ではないかとデカルトは考えたのです。その理由は前回の記事13章の話と類似しているように思えます。

mukuyuu.hatenablog.com

つまり、基本的に既存の学問というのは様々な人の意見の寄せ集めで、渾沌としているわけで、そこから切り離して一人で考えたほうが、一貫性をもって展開できるはずということです。

それと同じように、真理を追求する方法にもシンプルな原理を打ち立てて行くべきだと考え、次の四つの原理をデカルトは定めました。

  1. 明らかに真だと思うことだけを受け入れる
  2. 必要なだけ分割して考える
  3. 簡単なものから順番付ける
  4. 見落としがないよう確かめる

この時点で完全に理性だけで導いているわけではないものの、この原理に従うことで段々とはっきり考えられるようになるようです。 

第3部(道徳原則)

哲学に耽っているとついつい現実をおろそかにしてしまいがちです。これは僕には痛く感じるところですが…。デカルトはそういうことにならないように行動指針を定めています。

  1. 法律や慣習、信仰に従い極論に走らず穏健に行動する
  2. 一度決めたら中途半端にせず確実なものとして自信をもって実践する
  3. 世界の秩序を変えるよりも自分の欲望を変える

1は中道という感じですね。やはり極端なことはよくないことが多いですし、ハイリスクだし、基本的には柔軟にいたほうが良いですね。

2が自分にとって足りないとこだったなと、反省。やっぱりフラフラしてるとどこへも行けないですね。

第2部での3と関連する気もしますが、変えやすい方から変えるのが良いんでしょう。

と、ここでデカルトさんはこれ以上一人で考え続けるより、人と交流したほうが良いと考えてまたたびに出るようです。何事も極論はよくない。

第4部(神と魂の存在証明)

第2,3部では実践という観点においては、不確実なことも完全に否定できません。そんなことしたら停止する他ないからです。ですが、デカルトは真理探求を目的としているわけですので、真理を打ち立てるという意味では第2部の1を完全な形で実行しなければなりません。

それが「方法的懐疑」と呼ばれるものです。

疑う余地のないものだけを真理とする、これによってデカルトは一つの命題を得ます。

我思う故に我あり(cogito ergo sum)

哲学の第一原理です。さらに、デカルトはここから神の存在を証明します。残念ながら自分にはそこに納得はできませんでしたが、およそ次のようなことです。

  1. 無から何かを引き出せないように、完全度の低いものがより完全度の高いものは引き出せない(その実在にかかわらず)。
  2. 我々は「完全な神」を知っている(ここが一番鬼門^^;)
  3. 神は存在しなければならない
  4. そして私はより完全度の高い神をしっているので、神に依存している。そしてそれ故に正しい認識ができる。
  5. そして神の存在故に、夢の幻にかかわらず、想像や感覚でなく理性を証拠に真実を得る

第5部

ここでは様々な例を挙げて、人間の魂が不死であることを言っている。時代が時代なので現代的な理解では間違っていることが書かれているが、それは第2部での1,2が足りていないからだろうか。哲学という強固な土台を作る上では重要だった方法的懐疑だけでは科学を網羅することはできないんでしょう。

第6部

自分のスタンスについて語っているようです。例えば、ガリレオが糾弾されたことで出版への不安が生じたこと。実験の必要性。望ましいとおもう哲学的スタンスについてなど。素直で偏見のない、それでいて学問に貪欲なデカルトの姿が伝わってくる気がする。

おわりに

確固たる真理を得たいという思いから、今までの知識を徹底的に疑い、どうすれば真理が得られるかという方法にまで切り込んだデカルトは、その熱意にふさわしい哲学の第一原理を手に入れました。

ただの破壊的な懐疑主義者に陥らなかったのは、彼の問題解決を決して諦めない想いが強かったからでしょう。このポジティブに、でも注意深くという姿勢こそが後世に伝わってる理由なんだと納得です。

個人的には、「簡単なものから順番付ける」、「一度決めたら中途半端にせず、確実なものとして自信を持って実践する」という二つの言葉が今の自分に欠けていたなと思いました。励まされてるような気がした読後感でした。

参考資料

Discours sur la methode:原文(フランス語がわからないので読んでない^^;)

Rene Descartes "Discourse on the Method of..." Japanese(誤字などもあるがまあ読める)

René Descartes (Stanford Encyclopedia of Philosophy)

hinemoto1231.com

toumaswitch.com

Discourse on the Method - Wikipedia

ルネ・デカルト - Wikipedia

関連資料
省察・情念論 (中公クラシックス)

省察・情念論 (中公クラシックス)